Hammyの音楽教室日記帳

うちの子の音楽の才能をのばすために、家でできることってどんなこと

3足のわらじ

私は、本業は音楽教室ですが、

いろいろと副業をしてきたことがあります。

 

教室も大きくなって、先生も育って、

任せて置けるようになると

いろいろとやりたいことがでてくるものですね。

 

はじめは、Y教室の講師で、

次は自宅教室を立ち上げて、

数人の先生を使うようになりました。

生徒数は、100人を超え、

一年半待ちが15人という状態。

音楽雑誌にも3回、見開き4ページで、

取り上げていただきました。

 

そのうちに、夫が、

会社員でいることがいやになって、

独立したいと言い出したんですね。

 

家族でいっぱい話し合って、

いい技術を持っているんだから、

きっといい仕事ができると信じて、

お金を出し合って、会社を建てました。

 

自動車板金塗装会社です。

資金は、家族の貯金を全部出し、借金は少な目でやれました。

 

私は、教室経営までは、勉強中に

DJ,電話交換手、楽器店店員、教室助手などは

やったことがありますが、

自動車には、知識は全くなし。

 

でも、夫の希望ならば、やらなければ。

で、経理の本を何冊も買ってきて、

勉強しまくりました。

 

そして、開業。

夫は、腕のいい人だったらしく、

お客はどんどん増えて、社員も増えました。

 

安い、きれい、早い、

これが、やはり、よろこばれる秘訣ですね。

 

そして、どんどん大きくなり

他に土地を買い、自社ビルを建てて、

事務員を雇い、

私も、ずいぶん楽になりました。

 

売りあげはどんどん伸びて、

車も8台あり、ゴルフ会員権や、Rクラブにも入り、

ちょっとだけ、お金持ち気分でした。

 

でも、夫は、根っからの職人で、後継者を作るということは

考えなかったので、

自分で作った会社は、自分の代で終わりにするという

残念な考えで、縮小へ向かっています。

 

さて、会社がうまくいっているときに

私は、「輸入雑貨」の店を開くことにしました。

 

きっかけは、友人が、自分で商社をやっていて

中國へ連れて行ってくれたことです。

 

彼は、ありとあらゆるな物を受注販売していました。

商品に、ものすごく厳しく、

中國の奥の奥地に、工場があったのですが、

必ず、現地ま行って、指導し、チェックし、厳正に言い渡し、

品物ができるまでに、何回も行き、

できて、送られてきた品物は、10万個であろうとも

ぜんぶ、検品を自分でして

お客様には、完全なものを納めていました。

 

合間に中国の市場に行って、

仕入れの仕方や、値切り方、市場の仕組みや、品物の管理、

良い店員、悪い店員の見分け方、

人様が、喜ばれるような品物の、見分け方、

いろいろなことを教わるうちに、

私も、自分でも、お店をやってみたくなったのです。

 

何回か中国に行くうちに、

気持ちが固まり、

おうちを一軒借りてしまったのです。

 

そして人をやとい、ローテーションを組み、

下は店、奥は教室、二階は倉庫にしました。

 

自宅教室は、何人かの先生がやっていました。

自動車会社は、事務員がいて、

私は、経理と帳簿管理に、毎週一回行くくらいです。

 

店は12月にオープンしました。 

仕入れは、九州の雑貨店経営の友達に聞いて、

下関に、大阪に、東京に、上海に、香港に、

飛び歩きました。

 

 

商社の社長と、上海の泥棒市場や、香港などのいろいろな店を廻り、

音楽関係者から、民族楽器の老舗を教わり、

そのうちに、LAに友人ができ、

アメリカのコストコや、珍しいメキシコ市場などでも

仕入れするようになりました。

 

日本とアメリカでは、扱うものが違って

なかなか面白いものです。

 

3足のわらじは、ほんとうに、

たくさんの人のおかげで回っていきました。

 

今は、お店は閉店しましたが、

人様に、品物を手に取っていただく、

喜んでいただく、

かわいがって使っていただく、

そんな気持ちは、今も変わりません。

 

今でも、いい店だった~と言われると、

感謝でいっぱい。。。

 

今は、教室一筋楽しくやっています。

子どもたちが、音楽で未来を乗り越えていけるように、

音楽が、私を助けてくれたように、

子どもたちの支えになるようにと、

毎日、まい進しています。