Hammyの音楽教室日記帳

うちの子の音楽の才能をのばすために、家でできることってどんなこと

中学二年生女子、むづかしいお年頃のピアノのレッスンは?

今夜は、中学二年生の女の子のレッスン。

実は、生徒の中でも、とても心配な子なんです。

 

双子の兄がいて、小学二年生の妹がいて、

いつも、何を考えているのか

皆目わからない。。とお母さまが言っていました。

 

実は3人とも、私の生徒です。

中学二年男子、中学二年女子、

そして、小学二年女子。

 

前の先生は、すごく厳しくて、

怖くて怖くて、行きたくなかったそうな。

 

でも、実は、その先生も、

私の教え子でした。

 

小学から高校生まで教えて、

ヤマハ音楽教室の、研修生に合格させた一人。

 

確かに、昔、

4人のグループレッスンでも、

しっかり者で、みんなを率いるタイプで、

みんなが、たじたじで、ついていっていました。

 

しっかりした先生ではあるけど、

生徒には、厳しかったようです。

 

そんなわけで、3人とも、

うちの教室にやってきました。

 

そのうちの一人、中学二年生の女子が、

今夜のレッスン生。

月二回、一時間づつです。

 

今夜も、「練習してきませんでした。

すきな曲だけやってきました~」

とのたもうた(*^-^*)

 

ま、そんなこも、よくいます。

でも、そういう子も、資格を取るグレードとなると、

真剣になるので、大丈夫。

普段、好きな曲をたくさん弾かせて、

音楽の幅を広げるのには、いい機会です。

 

今夜は、一回に一曲づつ進む「ブルグミュラー

そして、ちょっとむづかしい「ソナタ

さらに、好きな曲で「ハナミズキ

 

ブルグミュラーは、短い曲で、表現力や、

様々な技術を身に着けさせるのに効果的です。

一回に一曲を完成する約束です。

 

ソナタは、じっくりと大曲に挑むための下ごしらえ。

 

けっこう難解で、弾きにくそうですが、

むづかしいのも、本人のため。

今夜は、八小節だけ進みました。

 

そして「ハナミズキ」は、

細かい音符が、正しく弾けていません。

 

でも、それはそれで、しかたなく、

曲としての表現力を養うことに。

 

また買っておいた、たくさんの曲集から、

「365日の紙ヒコウキ」が弾きたいといい始めました。

 

ところが、それは、初心者用の、簡単な楽譜です。

それで、私が即興演奏で、伴奏をいろいろ変えて弾いてみました。

 

すると、即興演奏に関心を持ったようです。

「自分で編曲するんなら、オリジナルだよね」

「そうそう、あなたしか弾けない曲になるよ」

「わ~~やってみたい」

 

しめた!!

この子は、人と同じことをするのがいやだったのかも。

 

即興演奏は、私は大好きです。

いろんな曲を、即興演奏で弾いたら、

目が輝いてきました。

 

私は、即興演奏を7時間続けたこともあったし、

簡単な楽譜を、好きな編曲にして弾くのが大好きです。

 

そこが気に行ったようで、

即興演奏や、編曲演奏を、やってみたいと言い出したのです。

 

つかみどころのなかったこの子に、

即興を教えるなんて、

なんうれしいこと。

 

お互いに、とても、気持ちが通じて、

心地よくレッスンを終えました。

 

彼女の気持ちと、才能を大切にしたい、

そう思ったレッスンでした。

 

 

 

お題スロットより「カバンの中身」

今週のお題「カバンの中身」

私のカバン好きは、それは相当ひどいものです。

カバンの数は、大中小合わせて、100個はあるでしょうか!

 

ブランド物は、ほんの少しです。

昔のものも、大切に使っています。

 

でも、その他では、

旅行用の大きなものが20個くらい、

手提げや、ショルダーバッグ、

かごバッグや、斜めかけバッグ、

インドネシアで買った、アジアン風のものも五個くらい。

 

輸入雑貨店をやっていたとき、

上海で仕入れしたものが、10個くらい。

中國のものは、とてもおしゃれで、

パーティーにも向きそうです。

 

その他にも、取引先の商社が、

受注販売で大量に作ったものの中から、

400個も送ってきて、びっくりしたことがありました。

 

それらは、ほとんど、教室の生徒さんの、

発表会の記念品になりました。

 

さて、カバンの中身ですが、

私は、いつも、大きなカバンに、

小さなカバンを何個か入れるんです。

 

最近は、大きなショルダーバッグの中に

斜めかけのバッグ、

小さな手提げバッグ、

携帯とタブレット専用のバッグ、

それに、化粧品バッグなどを入れています。

 

斜めかけのバッグには、ポケットが4つあり、

カード用には、ポイントカードや、キャッシュカード、

会員証などがぎっしり。

しっかりポイントや、会員特典なども、利用していますよ。

 

ほかのところは、

手帳用、通帳と印鑑、そして現金用に分けています。

手帳用のところには、メモ帳、レシート、ペン。

買い物の予定を書くことが多いですね。

 

通帳と印鑑は、家庭用のだけ、いつも持ち歩いています。

必要な時に、必要なだけおろすようにしてから、

なんとなく、残高が減らなくなりましたよ。

 

小さな手提げには、スケジュール帳、読みたい本、

ペンやハサミ、メガネ、ハンカチ、ティッシュなど。

 

化粧品バッグは、最低限の化粧品。

 

けっこう大量な荷物になりますね。

 

でも、ほとんど車で移動するので、

車から降りるときに、必要なものだけ持っていくので、

あまりきになりません。

 

むしろ、何かがはいってないと、とても心配。

 

そのほかには、持病の薬、キャンディー、

暑い時用の髪留め、 

そんなところでしょうか?

 

ネパールの手作ポシェットには

スマホと、タブレットを入れています。

これは、いつも体につけていますよ。

 

どうしていつも、そんな大きなバッグを持っているの?

と聞かれるんだけ、

何があっても、すぐ対処できるように、

依然に、3つの自営を掛け持ちしていたときからのくせでしょうか。

 

荷物が少ない人は、きっと自己管理がうまいんだろうなあ~なんて、

思っています。

3足のわらじ

私は、本業は音楽教室ですが、

いろいろと副業をしてきたことがあります。

 

教室も大きくなって、先生も育って、

任せて置けるようになると

いろいろとやりたいことがでてくるものですね。

 

はじめは、Y教室の講師で、

次は自宅教室を立ち上げて、

数人の先生を使うようになりました。

生徒数は、100人を超え、

一年半待ちが15人という状態。

音楽雑誌にも3回、見開き4ページで、

取り上げていただきました。

 

そのうちに、夫が、

会社員でいることがいやになって、

独立したいと言い出したんですね。

 

家族でいっぱい話し合って、

いい技術を持っているんだから、

きっといい仕事ができると信じて、

お金を出し合って、会社を建てました。

 

自動車板金塗装会社です。

資金は、家族の貯金を全部出し、借金は少な目でやれました。

 

私は、教室経営までは、勉強中に

DJ,電話交換手、楽器店店員、教室助手などは

やったことがありますが、

自動車には、知識は全くなし。

 

でも、夫の希望ならば、やらなければ。

で、経理の本を何冊も買ってきて、

勉強しまくりました。

 

そして、開業。

夫は、腕のいい人だったらしく、

お客はどんどん増えて、社員も増えました。

 

安い、きれい、早い、

これが、やはり、よろこばれる秘訣ですね。

 

そして、どんどん大きくなり

他に土地を買い、自社ビルを建てて、

事務員を雇い、

私も、ずいぶん楽になりました。

 

売りあげはどんどん伸びて、

車も8台あり、ゴルフ会員権や、Rクラブにも入り、

ちょっとだけ、お金持ち気分でした。

 

でも、夫は、根っからの職人で、後継者を作るということは

考えなかったので、

自分で作った会社は、自分の代で終わりにするという

残念な考えで、縮小へ向かっています。

 

さて、会社がうまくいっているときに

私は、「輸入雑貨」の店を開くことにしました。

 

きっかけは、友人が、自分で商社をやっていて

中國へ連れて行ってくれたことです。

 

彼は、ありとあらゆるな物を受注販売していました。

商品に、ものすごく厳しく、

中國の奥の奥地に、工場があったのですが、

必ず、現地ま行って、指導し、チェックし、厳正に言い渡し、

品物ができるまでに、何回も行き、

できて、送られてきた品物は、10万個であろうとも

ぜんぶ、検品を自分でして

お客様には、完全なものを納めていました。

 

合間に中国の市場に行って、

仕入れの仕方や、値切り方、市場の仕組みや、品物の管理、

良い店員、悪い店員の見分け方、

人様が、喜ばれるような品物の、見分け方、

いろいろなことを教わるうちに、

私も、自分でも、お店をやってみたくなったのです。

 

何回か中国に行くうちに、

気持ちが固まり、

おうちを一軒借りてしまったのです。

 

そして人をやとい、ローテーションを組み、

下は店、奥は教室、二階は倉庫にしました。

 

自宅教室は、何人かの先生がやっていました。

自動車会社は、事務員がいて、

私は、経理と帳簿管理に、毎週一回行くくらいです。

 

店は12月にオープンしました。 

仕入れは、九州の雑貨店経営の友達に聞いて、

下関に、大阪に、東京に、上海に、香港に、

飛び歩きました。

 

 

商社の社長と、上海の泥棒市場や、香港などのいろいろな店を廻り、

音楽関係者から、民族楽器の老舗を教わり、

そのうちに、LAに友人ができ、

アメリカのコストコや、珍しいメキシコ市場などでも

仕入れするようになりました。

 

日本とアメリカでは、扱うものが違って

なかなか面白いものです。

 

3足のわらじは、ほんとうに、

たくさんの人のおかげで回っていきました。

 

今は、お店は閉店しましたが、

人様に、品物を手に取っていただく、

喜んでいただく、

かわいがって使っていただく、

そんな気持ちは、今も変わりません。

 

今でも、いい店だった~と言われると、

感謝でいっぱい。。。

 

今は、教室一筋楽しくやっています。

子どもたちが、音楽で未来を乗り越えていけるように、

音楽が、私を助けてくれたように、

子どもたちの支えになるようにと、

毎日、まい進しています。

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演奏できる楽器は?

[http://blog.hatena.ne.jp/-/odai/6653812171396758604:title=お題「演奏できる楽器」

音楽教室を長年やっていると、楽器がたまってくるものです。

 

家にあるのは、グランドピアノ、

アップライトピアノ、電子ピアノ、

エレクトーン、などが、レッスン機材です。

まあ、長年やってきたので、

鍵盤系は、何とか演奏できます。

 

でも、テレビに出るよう素晴らしい演奏家ではありません。

 

ただ、即興演奏が好きです。

楽譜の通りに弾くことは、練習がきらいなので、あまりやりませんが、 

懐かしい歌の会などなら、延々と弾くことはできますww

 

その他の楽器も、たくさんあります。

多いのが民族楽器で、ジェンベという太鼓は、40個くらい。

REMO社の「木を切らない、

動物を殺さない」というコンセプトの太鼓たちが40個、

サウンドシェイプという、薄型の太鼓が60枚、

カシシというアフリカ系の小物楽器も50個。

その他、名前も奏法も知らない楽器が、いっぱ~~~い。

400人はいけるでしょうか。

二胡も、数台あるけど、音が出るまでがむづかしい。

ギターも数台、ウクレレ、ぎタレレ、一五一会

それに和琴も二台。まだ、訳のわからない楽器が、わんさとありますが、何でも音のするものを使っています。

ミュージックベル、13セット。

ピアニカ5台。。まだあるかな。

できないものも多いですね。

 

特に中国や、東南アジアなどのものは、むづかしい。

でも、このコレクションを使って、ドラムサークルをすると、みんなが喜びます。

持ち運ぶと痛むので、ついに一軒家を借りてしまいました。

 

皆が集まって、音楽で一つになれる日がくるといいなあと思います。

 

 

 

 

 

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はてなのお題「家のみ」ってしたことある?

今週のお題「家飲み」

Hatenaの今週のお題に、「家飲みの話、教えて」とあったんですが。

 

家飲みってみなさんは、しないんでしょうか?

 

外でお仕事している方は、

帰りに、どこかでいっぱい飲んで帰る。。。なんてことも多そうですね。

 

電車の中とかで、ぐっすり寝ているお父さんとか、

大丈夫かなあ。。って思っちゃいますよね。

 

うちの辺りは、田舎なので、電車通勤とかはないんです。

だから、いったん家に戻って、

家でいっぱいやって、

それから、外に出かけるとか、

車を家においといて、

いっぱいのみに出かけるとか。

 

でも、家飲みも多いですよ。

だってお仕事終えて、ほっと一息。

 

わざわざ外へ出かけるよりも、

好きなテレビ番組を見ながら、

チョビチョビとやってる方が、楽ちんですもの。

 

それでも、けっこう、小さな居酒屋が多くて、

なじみのお客さんが、ひょいと入ってくる。。なんて

田舎ではならの よいところもありますね。

 

たぶん、普段は、外へ出かけるのは、2割、

家のみは8割というところかなあ~

 

家で飲むときは、たいていは、

お父さんは、自分で冷蔵庫からビールを出して

夕飯の残りをつまみに、ちびちびと、テレビを見ながら。。。

というのが多いんでしょうね。

 

うちは、かって、私がおつまみつくりが大好きだったから

というのも、お酒が大好きだったからww

毎晩のように、夫の友達が遊びにやってきました。

 

冷蔵庫の中の、どんな余り物も、

おいしいおつまみに変化させて出すのが、得意だったので、

毎週、火曜日の男とか、金曜日の男とか

勝手に決めて、だれかが来ていましたね。

 

いつもの材料でも、作り手が違うと、

味が違うし、顔も違うし、飲み屋さんより安いしww

  

最近は、うちの小さな庭が、人気の場所です。

小さな畑があるんdすが、

そこから、ミニトマト、から唐辛子、なすび、などを取ってきます。

 

木のテーブルを出して、椅子をいくつかおいて、

ろうそくや、ランプの光の中で、

酒盛りが始まります。

 

 

かんたんなおつまみを並べます。

庭からとったばかりの辛い唐辛子をきざんで、

引っこ抜いたばかりのネギも刻んで

飛騨みそとネギとみりんを混ぜて

キュウリにつけて食べると、

これまたおいしい~~~

庭になっている、シソの葉や、なすび、ウドの若葉、などは天ぷら。

 

みょうがは、刻んで、しょうゆで食べます。

 

うちでは、お友達と「家のみ」が一番いいですね。

 

夏の家飲みは、

庭に限りますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな子供たちの音楽遊び

今日は、3人の生徒さん。

一番目は、年中さんです。

今年の春に入ったばかりですが、

耳がものすごくよくて

1回聞いた曲は、すぐに弾けるようになります。

 

それに気が付かないで、

入ってしばらくは、

いつものように 音あそびや、手遊びや、

打楽器で リズムまねっこや、

音符のカルタ取りや、

あそびの中で、音感をつけようとしていました。

 

ところが、ママが、膝を抱えて、

じーーっとうつむいているのです。

へんだなあーーへんだなあーーと思いつつ、

ある日、好きな曲を弾いてごらん と言ったら、

すらすらと、いろんな曲を弾き始めました。

 

なんと、気が付かなくて、二か月もたってしまって、

申し訳ないやら、恥ずかしいやら。

 

ママも、きっと、言いたくてしかたなかったんでしょうね。

それからは、ママは、Mちゃんを、おいていかれるようになりました。

 

どんどん進んで、いっぱい弾けますが、

音が読めることも大事です。

 

だから、必ず、音符に色を付けさせます。

ドレミで読めて、歌えて、それから弾くようにします。

 

4才で、ドレミの歌や、 子ぎつねや、ジングルベルや、

他にもいっぱい弾けて、

「あ~~、うちの子もこんあんだったらいいなあ~」と

つい比較しちゃう(*^-^*)

 

二番目の生徒は、

3才から来ていて、今5歳になった子です。

 

一年目は、教室に寝転がって、 お人形と遊ぶばかりでした。

二年目は、楽器にさわるけど、こちらのいうことは聞こうとしませんでした。

 

しょうがない、無理しないで、

まずは、習うことになれるようにと

ずいぶん気を使ったのですが、

いつの間にか、むづかしい曲を弾きだしました。

 

やってないようでも、実は、身体に入っていたんですね。

突然、いろんな曲を弾き始めてびっくり~~

なんか、これからうまくいきそうです。

 

 

 

もう一度行きたい場所は、?「ロサンゼルス」

はてなの「お題スロット」で出ちゃった

「もう一度行きたい場所」

 

それは、何といっても

「ロサンゼルス」です。 

LAには、娘が小学生の時に、

二人で旅行したことがあったのだけど

それから何年もして、

19回も通うことになるとは

思ってもみませんでした。

 

 

はじめは、20年ほど前に始めた「ドラムサークル」

たくさんの人が、 リズムを共有して、

その名kで、いろいろなファシリテーションを受けながら、

一体感や、自己存在感や、

自分自身が参加できる

自分がみんなをリードできる自立感、

みんなから認められる満足感、

何をやっても失敗は一切ないという自己確立感、

いっしょに何かができる一体感などなど、

ほんとうに音楽が、誰もを解き放つものだと

こころから知ったのが、、このドラムサークルでした。

 

後、3回くらい、日本のに参加し、

ある時、ロサンゼルスに、本拠地があることを知りました。

ちょうど、友達を訪ねて、LAに通い始めたころ。

 

2005年当時は、LAから来た、

クリスティーン・スティーブン女史に、師事していました。

が、LAにREMOという本拠地があると知り、

LAで運転手や通訳をしてくれる人を探しました。

その時に、運転や通訳を引き受けてくれたのが、

K氏でした。

 

K氏は、運転手と通訳、ドラムサークルの撮影、

そして、LAの案内、ホテルの送迎、

すべてをやってくれました。

 

飛行機会社のオーナーで、

飛行機は、40機あり、

国際貨物、チャーター機、航空機販売、

観光飛行、航空学校、などの会社経営者で、

自らも、30000時間の飛行時間を持っていました。

 

私は一年に3回くらいLAに行き、

毎回10日ほどの間

毎晩、REMOミュージックセンターに通いました。

19回LAに行ったので、REMOには、50回くらいでしょうか。

 

平日は、ハリウッドのミュージシャンが、

ジェンベやカホンなどのレッスンをしたり、

コンサートが開かれたり、

ドラムサークルも、週に数回あり、

たくさんの人々が集まってきました。

 

それはたくさんの学ぶ機会がありました。

K氏kが撮影してくれたビデオだけでも

数百本はあるでしょう。

 

REMORMCというのは、

REMOミュージックセンターのことで

REMOさんという方が、

世界一の打楽器メーカーを作りあげ、

世界中の人が、リズムで一つになる

システムのドラムサークルを編み出し、

世界中の子どもたちや、

障害のある子どもたちに、

奨学金を出したりしていました。

 

日本には。 

学びあうDCFAという機関ができて、

会員組織になっていったので、

そこにも入りました。

 

アメリカでは、そういったものはなく、

どこでもだれでもできたのです。

 

REMOさんをパパと呼び、

かわいがっていただいたおかげで、

ドラムサークルへの揺るがない愛着が生まれ、

世界中に友達ができました。

この御恩は、ドラムサークルでしか

返せないと思っています。

 

REMOさんは、残念なことに、去年なくなりましたが。

その意思は、世界中に受け継がれています。

 

そして、私も世界中のドラムサークル仲間を、

心から応援していきます。

音楽は、世界共通のことばであり、

どこの国の人も、ドラムサークルやってますというと、

すぐ友達になり、大歓迎してくれます。

 

 音楽を携えて、世界の仲間に会いに行きたいものです。